【まちなかストーリー】懐石料理 いっ木 一木敏哉さん 第2回「開業時に苦労したお話と食育・食文化について」
- まちなかストーリー
- 2016.09.16
まちなかで活躍する人にスポットを当てて、そのヒトの街に対する想いや物語を紹介する「マチナカストーリー」。
前回のWINE & JAPANESE GRILL FUJITAの藤田 隼介さんから紹介いただき、3人目は、懐石料理「いっ木」 の 一木さん。全3回に分けて、毎週お届けしていきます。
今週は第2回、「開業時に苦労したお話と食育・食文化について」のお話を中心に振り返ってお話いただきました。
人物紹介
一木 敏哉さん
森町出身。辻学園調理技術専門学校卒業後、京都「菊乃井」での修業を経て地元静岡にて「いっ木」開店。静岡ふぐ処理師、利酒師。日本料理アカデミー会員。学生時代は剣道部とバスケ部。
お店のウェブサイト: 懐石料理「いっ木」(浜松市中区田町329-8)
開業後は現実的で綿密な事業計画を立てて、無理せず焦らずじっくりとファンを増やす
伊藤 開業されて、今ってお店はカウンターと個室1室でお一人でやられてるんですか?
一木 調理は私一人で、後はスタッフやお手伝いさんがいます。
伊藤 開業当時からこの場所ですよね、今後は「別の場所に」とか「規模を大きく」とか考えていますか?
一木 規模を大きくと言うよりは、もう少しお客さんのスペースを広く取れたらいいなと思っています。ゆったりととか、あとは例えば、庭があったりとか、和室・個室があったりとか、建物とかもいろいろそういう風にできたらいいなとは思うんですけど。…正直現実な話、ならないですけどね。
伊藤 最初に開業しようとしたときに苦労したことって何がありましたか?
一木 そうですねぇ、開業の時はもうあっという間すぎちゃって…(笑) とにかく、いろんな物が間に合わなかったですね。お店の内装とか前日の5時までやってましたからね。それで、そこから仕込みの作業ですからね。工事終わらないことには、仕込みが出来ないし器も洗えないしで、これは大変でしたよ。
でも、オープンにあたっては、ある程度シミュレーション通りにスタートできていましたね。
伊藤 お客さんの数とかも予想してですか。
一木 お客さんは全然来ないですよ。来ないというか、営業としてこういう形で回すことが出来る、そしてお客さんはこれくらいしか来ないだろうと予測してて、実際それくらいの見積もり通りで、思ったよりちょっと来てくださったなというくらいでした。だいたいの現実的な数字でシミュレーションしていました。
開店当初にいきなり満席になったからといっても、おそらくお店は回らないと思うんです。なのである程度これくらいの売上しか行かないだろうなーと、だからこれくらいの仕入れになるし、これくらいの仕込みをしておいて、そうするとこれくらいのお客さんならまずは回せるだろうと言った感じで調整していました。
伊藤 何年後くらいまで事業計画を作っていたんですか?
一木 3年か5年位ですかね。予想より少し下回っていたのは最初の頃ですね。最初の頃は、うちは一切広告を打たなかったのと、口コミされるにもお客さんがゼロから始めているので、さらに食事代もこの単価なのでなかなか来ないですし…本当にゼロから始めたので。
伊藤 ということは、最初のお客さんってどういう方が見えたんですか?
一木 一番最初は、業者さんの紹介ですかね。仕入れ業者さんの知り合いの方とかに話してくれてちょっとずつちょっとずつですね。だって広告打ってないですから(笑)
伊藤 そうですよね(笑)お店の佇まいからも、なかなかひょいっと入るのは難しいですし。
一木 実は当時は立て看板を置いてあったんですよ。営業時間と、献立を書いて、それと値段も明記して出していたんですけど。メニューブックを2回位盗まれて。
一同 盗まれたんですか(笑)
一木 普通盗まないじゃないですか、そんなの。最初は看板に立てかけておいたので、「ああ、風で飛んじゃったかな」と思って。それで次にガムテープで剥がれないようにくっつけておいたら、それを剥がして持って行かれちゃってて(笑) もう、ここまでして持って行きたいかと…
伊藤 ねえ、ひとんちのメニューといったらあれですけど(笑)
一木 それ以来、そういうのもあってね、もうお店の前にメニューを置くのやめたんですよ。。。 その頃には、お客さんも多くはないですけど来ていただけていて、後は地道に地道にちょっとずつちょっとずつですよ。
伊藤 広告屋の感覚だと、最初にオープン前に広告も含めて色々仕込んで、プレオープンで慣らしをしながら一気にスタートダッシュをかけるぞ!っていうイメージが飲食業ってあるじゃないですか。
一木 いや、それが正解だと思いますよ!いやーだって、プレオープンするにもオープン前日の5時まで工事やってたんでやりようがなかったんですよ(笑)
伊藤 でも、そこは慎重な事業計画があったからこそ、どっしりと経営していけたってのはありそうですよね。
一木 それはそうだと思いますよ。だって、最初から懐石をお客さんゼロで始めて、そんなにいきなりわんさかくるわけがないじゃないですか(笑) なので、事業資金としてちゃんと運転資金を用意しておいて、それで、現実的な数字を本当にちゃんと作っていたので、まあこんなもんやろなと。
ちなみに、オープン3日目で早速ボウズ(お客さんゼロの日)でしたからね。
伊藤 一日の帳簿で売上ゼロを〆る時ってちょっと凹みますよね。。。
一木 そうですね、それはありますよ(苦笑) 当時って、まだ今ほど不況じゃなかったじゃないですか、10年前って言うとお客さんがいっぱい通りに流れてて。だから周りのお店には、どばーって入っていくのに、うちだけ一人もおらへんなあっていう。。。まあ予想通りではあるんですけど、と自分に言い聞かせて。
でも、一応材料入れて仕込みはしてますから。この時は完全予約じゃなかったので、お客さんがゼロなのに完全予約もなにもないですよね(笑) なので当時お客さんがゼロだと食材がロスになってしまって。…だから、その時はけっこう良いもの食べてましたよ。
伊藤 夜は営業時間いつからいつまでですか?
一木 6時開店で、8時が最終オーダーで10時閉店になります。単品での注文はなくて、すべてコースなのでラストオーダーが2時間前なんです。
伊藤 ということは、1回転しかしないですか?
一木 一回転しか出来ないですね。コースを頼むと、基本的に2・3時間くらいになります。そうするとこの時間では回転できないんです。
伊藤 夜だけでなく、ランチもやられてますよね。
一木 お昼もやっています。開業当時、最初の1・2週間だけは夜だけにして、途中からお昼も始めて。それ以後はずっと続けています。これもやっぱり、体を慣らさないといけないなということで。最初から、お昼やって、夜もやってとなるとオペレーションも難しいので、開店してしばらくして慣れた頃にランチ営業もやるようにしました。
伊藤 なるほど、かなり綿密な計画ですね。
一木 ランチ始めると、その当時は1800円でやっていたので、やっぱり飛び込みが入りやすいじゃないですか。そこからちょっとずつは、口コミで広めてくださったり夜の時間に来てくださったりするようになりましたね。でも、だいたい昼の時間と夜の時間のお客さんは別の方ってことが多いんですよ。聞いてみると、お昼は奥さんが来てて、旦那さんに教えて、夜には旦那さんが一緒に会社の人を連れてくるということもあるみたいですね。
鳥居 今はもう、お弁当とミニ会席だけですか?
一木 最初の方はもう本当にお弁当だけだったんですよ。今のお弁当よりももっと簡単なもので。それで、徐々に徐々にオペレーションに慣れてくると、質を上げて今のスタイルになりました。質を上げるとやっぱりお客さんが来てからすぐに作れないので、予約制になっていったという感じですね。
日本料理の食文化を残すための地域の食育と、文化を残すことの大切さ
伊藤 今は、将来の事業計画なども持っているんですか?
一木 そうですね、さっき言った内装的なところといいますか、空間的なところをもう少しきちんとしたものを作りたいなと思っています。
伊藤 色んな所で、ビオあつみさんやクリエイト浜松さんでたくさんワークショップをやられていていますよね。どういった思いを伝えようと活動しているんですか?
一木 やはり、地域の食文化を、次世代にちゃんとしたものを伝えていかないと、地域としての発展もないと思うんです。そこで、私の出来ることといえば、食を通じて食文化という形で皆さんに知っていただく。という活動ですね。
伊藤 料理教室は定期的にやっているんですか?
一木 料理教室は、お店でやっているのはSBSさんと提携でやっていて、それ以外の食育関係とか講座みたいものは、食育のボランティア団体をしているのでそちらでやっていて、あとは地域の学習支援事業の補助金とか、はましんさんの補助金で地域の食育関係のお手伝いをしています。
伊藤 ボランティア団体をやられているんですか
一木 JFCプロジェクトという、ジャパンフードカルチャープロジェクトというんですけど、直訳すると少し違うんですけど、「日本食文化計画」っていうことでやっています。日本の食を文化的な要素も含めて進めていこうということで作った団体になります。
伊藤 メンバーはどんな方がいらっしゃるんですか?
一木 主婦とかサラリーマンとか、学生さんとか…飲食業界の方は実は少なくて数人くらいですね。なので、最初は料理人だけでそういうことをしようと思って声をかけたんですけど、やはりみなさんお店を一人で切り盛りしてるシェフが多いのでなかなか。。。
伊藤 一木さんだって回らないじゃないですか。
一木 そうですよ、僕いなかったらもう店しまっちゃうので(笑) そこはもう、地域貢献という形でやっています。今やらないと、この先に手が空いてから10年後、20年後ではもうなくなってしまうものがいっぱいあるんですよ。
例えば、和食自体がちゃんと残っていくかということですよね。お家で和食ってどれくらい食べるようになったかとか。じゃあ出汁はひいてますか。それで、みんな化学調味料をどんどん採用して、生まれた時から食べてたらもうそれが当たり前になっちゃいますからね。今それっていろいろ問題起こしてるじゃないですか。普通の人は、行政の人も含めてどうしていいかわからないと思うんですよ。そういうのってやっぱり、食に携わる我々が、やっていかないと説得力がないし、みなさんの意識もそこに向かないので。
今だったら、まだ関心を持っている人もいますし、その文化に触れていた年代の方もいますし、なんとかまだ間に合う年齢なんですよね。これが、10年・20年した時には、何も無いところからスタートするにはもういくら言ってもわからないと思うんですよ。
鳥居 「これが、昔“出汁”と言われていてたものでね。」というところからですもんね。。。
一木 昔は、地方にも日本料理があったんだよっていう話になるんですよ。出汁もひかなくなってきているし、魚も今はおろさないですよね。じゃあ、日本料理の板前なのに、魚がおろせない、出汁もひけない、だし巻きも巻けない、煮物も炊けない、そしてさらに、料理人になろうという人が激減しているんですよ。そうすると、東京とか京都の一部の都市でしか成り立たないお話になって、ちゃんとした日本料理を食べようと思ったら、京都や東京行かないと食べられないようになってしまう。
だから、地方で創作料理ですって言いながら、和洋折衷のいろいろ混ぜたようなものばっかり食べてたら、それだけが文化になってしまう。なので今のうちに、ちゃんとしたものもあるし、手軽なものもあるしという、選択ができる環境を教えて、こういうのもあって、ちゃんと残して行きたいものじゃないですか。ちゃんとしたものは次の世代に残して行きたいですし、これって体験したことない人には伝えられないんですよ。
それで、文化って何代も続いていってやっと文化になるものなので、それをどっかで切れないようにちゃんと継続させるためには、「今やらないとダメ」なんですよね。
鳥居 いまやらないと、途切れちゃいますもんね。
一木 途切れちゃうんですよ。料理だけじゃなくて、それを取り巻く食材の環境も、今危ないんですよ。鰹節に関しても、今は「ちゃんと作っているところ」から潰れているんですよ。経営が成り立たなくて。ちゃんと作るから、コストが上がるわけですよね。それで、鰹節って何十年も値段が上がっていないのに、コストは人件費含め上がっているんですよ。どんどん利益が減っていくんですね。それで、食っていけなくなると自分の子供に継がせるかというと・・・継がせないですよね。
今、枕崎っていう鹿児島の方の鰹節の産地では、日本人だけじゃなくてアジアの人たちがみんな手伝っていて、その方達がいないと今は作れない状態なんですよね。人件費のコストもそうなんですけど、日本人でやりたいという人がいないんですよ。それで、海外の人は頑張って勉強したい、知りたいと行って一生懸命働くから現地の人も教えるわけですよね。でもこれ、技術の流出なんですよ。この技術を海外に持って帰って、向こうで作るともっと安いものが出来ますよね。
参考:枕崎市 http://www.city.makurazaki.kagoshima.jp/
ーー枕崎は、漁業のまちとして栄え、水産加工業のかつお節は量、質とも日本一、カツオ漁業とともに二大基幹産業です。農業ではお茶や電照菊、また本格焼酎のふるさと薩摩酒造もあります。
そうすると、今後日本で日本料理を作るときに、日本産の鰹節がなくなるんですよ。おそらく今のままだと。今の話だと鰹節が例なんですけど、他にも日本のものっていっぱいあって、伝統芸能だったり伝統工芸品だったり。そういうものも含めて、文化としてしっかり形として残していかないと無くなっちゃうよ、ということなんですよね。
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今週はここまで!
次回は「開業時に苦労したお話」を聞いていきましょう、公開予定日は9/16です。お楽しみに!