【まちなかストーリー】ヘアサロン バビロン(Babylone) 松谷政寿さん 第1回「ヘアメイク・美容師を志したきっかけと浜松で起業したわけ」

まちなかで活躍する人にスポットを当てて、そのヒトの街に対する想いや物語を紹介する「マチナカストーリー」。
前回の日本酒バー シティライツの鈴木さんから紹介いただき、6人目はヘアサロン バビロン(Babylone)の松谷さん。全3回に分けて、毎週お届けしていきます。

今週は第1回、「ヘアメイク・美容師を志したきっかけと浜松で起業したわけ」をお話していただきました。

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人物紹介


松谷 政寿さん
福島県出身。東京は代官山・青山の超有名サロンを経て浜松入りし12年前に独立。2014年3月に新浜松駅前に移転オープンしたBabylone(バビロン)のオーナー。 最近では、2016年2月に2店舗目の「Nina by Babylone」が佐鳴台のオレンジストリート沿いにオープン。内外装ともに細部までこだわり抜いたおしゃれなサロンではイベントやワークショップも開催されギャラリーなども併設されている。特にアート・芸術に造詣が深い。

お店のウェブサイト:バビロン(Babylone)


 

よろしくおねがいします。ちなみに、最後に切ったのはいつですか?

ーー最後に切ったのは二ヶ月前くらいです。インタビューと一緒にカットよろしくお願いいたします。

(その後、カウンセリングをきっちりしてもらい、カットしてもらいながらインタビューしました。)

ーー元々、独立する前はずっとまちなかに?

元を辿ればそもそも僕はずっと東京にいたので、8年弱位は東京にいたんです。
その後に浜松に来て肴町にあったお店で2年半位お世話になっていて、昔から全然お店を持つとか願望は一切なかったんです。

そんな時に、福島の実家で18歳まで一緒に同居していたおじいさんが亡くなったんです。
僕はその歳まで1度も周りで亡くなった方がいなくて、お葬式にも1度も出たことがなかったんです。

なので、人の死というものに関してリアリティが全く無いまま育っちゃって、身近なおじいさんが棺に入ってるのを見て、人はいつか死ぬんだなって実感したんですね。

その時に、なにかよくわからないんですけど芽生えたんですよね。 それ以前は「このまま根無し草で、南下していこう」っていう計画を持ってたんです、最終的には沖縄かな?と。単純に福島出身で寒いとこで育ったので、暖かいところへの憧れもあって。

 

ーーもともと浜松とは何か縁が合ったんですか?

ほとんどと言っていいほど無いですね。
東京で働いてる時に四国と九州以外のある程度の人口がいる都市を十数箇所まわったんです。

それっていうのも単純に旅が好きだったっていう事と、やっぱり美容の文化って土地土地で全然違うことがあって、意外とその土地に根付いてたりするんですよ。
だからその違いを見るっていうのも楽しくて、街々で時間があれば、街歩いてる人達に直接声をかけて、良い髪型してる人に声をかけて「どこで切ってるの?」みたいな。

それで、その街の美容院を何件か見学するっていうのを趣味にしていたんです。一応美容に絡めてそういうのをちょっとやってたりとかっていうのがあって。

その時に候補地が4箇所あってそのうちの1つが「浜松」でした。あとは、京都とか神戸、広島なんですけどね。

浜松だけでも40店舗ほど見ました。バスに乗って半田の方まで一人で行ったのを今でも覚えています。懐かしいですね。

ーー浜松の何に惹かれたんですか?

大阪方面で数店舗見学してから静岡に行って4〜5店舗ほど見たんです。でも、あんまりピンとこなかったんですよ。

それでその夜、たまたまビジネスホテルで見たテレビがヤマハのピアノか何かのドキュメンタリーみたいな番組で。 番組の内容は、今まで世界的なコンクールではスタインウェイ(steinway)のピアノでしか勝てないって言われていたんですけど、ヤマハのピアノを使って勝ったという話でした。 ヤマハがどういうふうにピアノ作りをしていたかっていうお話と、リヒテルがヤマハに来たことがあったらしくて、それは知ってたんです。

それで、浜松が工業的にブルーカラーの街だったというのは、スズキ自動車とか静大の前身の浜松工東高等学校の高柳健次郎さんがテレビ画面に「イ」の字を映し出したりとかあって知っていたんですけど、ブルーカラーのインダストリアルのデザインというのは、要は「機能美」なんですよね。

それに対して僕らは、どちらかいうとファッションは「装飾美」の方が意味合いとしては強いので「機能美」とは対極にあるんです。

ブルーカラーの街っていう事を考えると、どう考えても対極だからまったくだったんですけど…(苦笑) ここでピアノのドキュメンタリー番組を見たのも何かの縁かと思って、あと1日休みあるからということで静岡から西の浜松に戻ったんですよ。
それが浜松との縁です。あそこでその番組見てなかったら、今浜松にはいなかったと思います。

スタインウェイ・アンド・サンズ – Wikipedia
ーースタインウェイ・アンド・サンズ(英: Steinway & Sons, 通称:スタインウェイ[1])は、1853年にアメリカ合衆国ニューヨークで設立されたピアノ製造会社である。ベヒシュタイン、ベーゼンドルファーと並んで、世界のピアノメーカー御三家の一つに数えられる。

スヴャトスラフ・リヒテル – Wikipedia
ーースヴャトスラフ・テオフィーロヴィチ・リヒテルは、ソビエト連邦のピアニストである。ドイツ人を父にウクライナで生まれ、主にロシアで活躍した(ただし在留ドイツ人として扱われた)。その卓越した演奏技術から20世紀最大のピアニストと称された。

ーーあと1日あるから浜松に戻ってこようって決断、すごいですね。

選んでいる場所は、全部ちょっと少しある程度独特の文化圏で実は選んでるかもしれませんね。 広島は都市として独特の文化があるし、神戸はまたちょっと違う南の街で文化も大阪とも違う感じだったりするじゃないですか。
そして、京都は日本でも有数の、世界からたくさん観光客を招き入れている都市ですが、文化的にはある意味閉鎖的でここも独特の街じゃないですか。

全部面白いなって。そういう基準でピックアップしていたんです。そんな感じで浜松にも来て40件くらい見たんですよ。その中で、「ここは興味があるな、ここだったら働きたいな」という直感的なところでした。

当時は1人で、浜松の街に友人や親戚も何にもまったくゼロでのスタートでした。

 

ーー東京では最初から独立を志してた訳ではなかったんですよね

全く。むしろ流れていこうと思ってましたからね。

どちらかと言うと、ヘアサロンと近い仕事なんですけど、ヘアメイクさんを目指していました。 ヘアメイクさんにもいろんな種類のヘアメイクさんがいるんですけど、主にファッション誌で新しいヘアとメイクを仕掛ける方を目指していました。

専門的な言い方すると、イノベーター。いわゆる業界のピラミッドがあるとしたら、日本で1番影響があるようなファッション誌のヘアメイクをすることによって、それに従ってみんなが追いかけるという図式ですね。

僕らがそういう道を目指したのが20年位前に、本当にすごい有名な宮森隆行さんというヘアメイクさんがいて、ファッション誌のオリーブや「愛・地球博のヘア・ディレクション」、NHKの「にほんごであそぼ」をやってた人なんです。   とらばーゆの表紙のヘアメイクをひびのこづえさんとずっとやっていてそれがかわいくてクリエイティブで。

その人の下につくために、とりあえずまずは、日本で1番才能が集まるヘアサロンで4~5年働いて、そこから宮森さんの下でファッション誌やコレクション・CMなどの仕事を手伝わせていただきました。  

宮森隆行 – Wikipedia
ーー宮森 隆行(みやもり たかゆき、1957年8月15日 – 2013年4月23日[1])は、日本のヘアメイクアーティスト、ヘアメイクプランナー。雑誌・広告などで多数の女優・モデルをてがけている。東京都出身。

 

ーービックネームでもある宮森さんの元で働いて、どうでしたか?

やっぱり、結局働いていたヘアサロンもすごい有名なお店だったんで、意外と通用するかなと。すごい倍率から選ばれてて、その点では、ある程度想像の範疇だろうなっていうのはあったし、ソコソコ通用すると思ってたんです。

でも、生まれて初めて、これはもしかしてどう頑張っても届かないかもっていう。
それまでは結構、自信と言うか確信があったんですけど、初めて「届かないかも」って思った人でした。すごかったです、やっぱり。

フォーカスが違うというか、視点が違って。ヘアサロンで働いていると、やっぱりどうしてもバランスを取ろうとするんですよね。
ネガティブな要素を押さえ込むことによって、スタイリッシュだったりとか、今のトレンド感に合う感じを知らず知らず追ってしまっていて。美容師は、作り方としては切って、削ぎ落とすっていう仕事ですからね…。

でも、ヘアメイクさんってほとんどカットをしないんですよ。 要はプラスな足す作業なんですよね。足す作業の思考だからどちらかというと、良いところをいかに引き出すかっていう考えなんです。

言い方は近いんですけど、悪いところを少しカバーするように切るっていうのと、良いところを引き出して切るっていうのは、似て非なるもので。 だから、結局プラスの発想だと、良いところをどうやって引き出すかというように考えます。

そうすると、食べ物と一緒で素材を活かすって考えたら、僕らの「切る」方は素材を活かしてないんですよ。削って、引き出すっていう感じになりますかね。 引き出すって言うには、プラスって感じの意味合いの方が強いです。そこが大きく違ったかなと。

なので、いつも宮森さんに言われたのが、 「松谷は知りすぎている。要は、いろんなバランスだったりとか、いろんなものをロジックにアカデミックに解決しようとするよね。だからいつも95点は取れる、だけど、いつまで経っても110点は取れないよ」 って言い方をされました。

要するに、いつも合格点は取れるけど、その人のイメージだったり自分自身のイメージを超える事はできないぞと。 その言葉がとても、自分の中で大きくて、そこから結構変わりましたね。


今週はここまで、次回は 第2回「美容師視点で見る浜松の地域性と、時代にリンクした客層の変化」 に続きます!