【まちなかストーリー】株式会社 大と小とレフ 鈴木一郎太さん 第3回「”黒板とキッチン”と人とまちなかとのかかわり」
- まちなかストーリー
- 2017.03.17
まちなかで活躍する人にスポットを当てて、そのヒトの街に対する想いや物語を紹介する「マチナカストーリー」。
前回の絵本の店 キルヤの星野さんから紹介いただき、8人目は株式会社 大と小とレフの鈴木一郎太さん。全4回に分けて、毎週お届けしていきます。
今週は第3回「"黒板とキッチン"と人とまちなかとのかかわり」についてお話していただきました。
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人物紹介
鈴木一郎太さん
浜松市出身、1977年生まれ。小学校まで浜松、中高は静岡の学校、その後アメリカ・イギリスへと渡りロンドン芸術大学を修了。1997年から約10年間イギリスに滞在し、アーティストとして活動。帰国後はNPO法人クリエイティブサポートレッツに勤務し、障害福祉や文化事業の企画・ディレクション行う。2013年に建築家の大東翼さんとともに株式会社「大と小とレフ」を設立。
浜名湖花博2014一部エリアのキュレーション、静岡文化芸術大学の地域プロジェクトに関する研究事業のマネジメント(projectability)、ゲストハウス(大阪、長野)立ち上げなど、様々な企画・ディレクションに携わる他、まちなかのゆりの木通り商店街にあるセミナールーム「黒板とキッチン」を運営している。
NPO法人こえとこころと言葉の部屋(ココルーム)理事
静岡県文化プログラムコーディネーター
WEBサイト:
第3回 「"黒板とキッチン"と人とまちなかとのかかわり」
前回の記事:第2回「独立起業への決断と、大と小とレフという会社」
ーー黒板とキッチンについて詳しく聞いていきます。前身である当時の「たけし文化センターINFO LOUNGE」はどんな感じでしたか?黒板とキッチンに改装するときの構想とかを聞かせてください
たけし文化センターINFO LOUNGE
2011年6月に万年橋パークビル1Fにオープンした、浜松を中心としたイベント情報などのチラシ置き場「たけし文化センターINFO LOUNGE」。黒板とキッチンの前身。
黒板とキッチンをつくる際に、色々話し合った中で、気にしたことのひとつが入り口です。 そもそもインフォラウンジは居抜きの状態で、元々宝石屋さんだったんですよ。入り口にも宝石のショーケースがあったりしてほぼその状態だったんで入りにくさがすごくありました。なので、改装後は間口をとにかく広くしようって。
ただ、そもそも、こういうコミュニティースペースってあんまりないじゃないので、結局知らない人はただただ入りにくいっていう。これはまあ、しょうがないですよね。
例えば、喫茶店って看板が出ていたら入りやすいんですよ。それは他にも同じような喫茶店の例があるからふるまい方がわかる。コミュニティースペースは当時浜松にはあんまりなかったですよね。どう考えても普通に怪しまれる。でも、そこはもう背負うしかないなと。 用意したものだけでは面白い事は起こらない。その場で突発的に起きた事が面白かったりします。
これはインフォラウンジ時代の話ですが、例えば、当時浜松信用金庫の方が来てくれていた時に、たまたま大学生が就活の話をしてたんですね。その人はできたら「はましん」とか金融系の企業にいきたいなって言っていて。へー、そこに「はましん」の人いるけど話聞く?って。隣の席に話に行って(笑) それを、なんとなくそこにいるみんなが聞いている、みたいな状況で、これはトークイベントだなと思ったり。それは、本当に出来事としては小さい事なんだけれど、真剣味が違いますよね。 そんな事が偶然起きる可能性を高める場をつくるっていうのは面白味がありましたね。
設える物っていうのは、不特定多数の人を想定した場合、どうしたって用意できることが限られていたり、手前味噌になりがちですよね。
黒板とキッチンは、そういうところから考えて、スタートしています。
用意するものに期待するのはやめよう。だけど、あまりにも何もなくて、誰でも入れますよっていうのもちょっとアレだから。とりあえず講座という窓口を一旦ちゃんと作ろうってなって。 知ってる人にお願いをして、厳しくなったらやめてもいいですという感じで、とにかくカレンダーを毎月出すっていう事はちゃんとしようってルールを作りました。
それで講座を開くときに便利だろうっていうことで、講座を象徴する意味で「黒板」を設置することにし、黒板とイメージが遠いもので、人が自由に使ったら何か起きるかもしれないものとして「キッチン」を置くことにしました。 こっちは、特に見込みがあったわけではなかったんですよ。黒板とキッチンが一緒に置いてあるのって、カフェもそうなんですが、あくまでカフェ機能を補完するために黒板があるという感じじゃないですか。学校の家庭科室のほうがイメージが近いかもしれませんね。いつでも目的外使用ができる家庭科室みたいな(笑)
そういった予定調和じゃない物事が好きなんですよ。混ざると思ってなかった人達が混ざって何かが生まれたりするのかなと。そういうのがすごくおもしろいなって思っていたので。 そういう異色の組み合わせを象徴することを意識して、空間や機能を決めていきました。
今は月1の「南インドカレーの講座」から派生して、受講者が有志でふりかえりの会をやっていたり、食を絡めた起業準備をする人がうまく使っていたりするので。まあ、よかったかなーって思っていますが、本当はもうちょっと、近所の人が材料持ち寄ってお昼を作ってみんなで食べるみたいなことが起こってもいいのかなって思っていたんですけど。なかなかそこまではいかないですね。
もちろん、キッチンは空いていればいつでも使ってもらって大丈夫ですよ。1回200円です。1回なので1時間でも200円だし、5時間使っても200円。かなりお得だと思います。
ーーここはゆりの木通りに接していますよね。ゆりの木通り商店街との絡みは何かありますか?
対組織としては、商店会やてづくり品バザールの会議をここでやるくらいかな。 スタッフはここに張り付きなんで、なかなか外に出られないっていうのが1つと、僕がマメじゃないので(笑) 皆さんも結局お店から出られないので場所の使用ということではなかなか難しいと思っています。もともと来街者向けに作られていますし。 ただ時々、お店の人が個人として時々立ち寄って雑談していく感じです。
ーーここには他にもいろんな方が来ていますよね。一番の特徴ってなんでしょう?
私人としてスタッフがいるっていうところかな。
うちなんて小さな会社なんで、ここのスタッフはそんなに大した看板も背負わなくていいし、むしろ、看板同士の関係より、個人同士の関係がつくられるほうが僕はいいと思っているので、普通にしていてもらってて。 久保田君と喋りたいから来るとか、横村さんと会いたいから来る人とか、が基本でいいと思っています。
あとは、周辺の事業絡みのゲストが寄ったり、視察で来られる人や、人から聞いてという人など県外の人もわりと多いですね。
そしてこれは余談なんですけど、僕、こないだ鳥取で県庁職員の自宅でーー
(※鳥取でお悩み相談会を開催したら、大盛況だった話。恋愛相談から、モニュメントが立つ計画をどうしたら阻止できるか相談したおばちゃんのお話など、おもしろエピソードが盛りだくさんだったのでぜひ「黒板とキッチン」に行って一郎太さんに聞いてみよう!!)
ーー関係がない人だと話せますし、だから一郎太さんだから話せちゃったんでしょうね。県庁の人が県庁でやりますよって言っても、抵抗がありますもんね。
縁もゆかりもなく、全然違う場所で生活をしている人が聞いてくれるっていうのがある意味、新鮮だったのかもしれないですね。近所に変に伝わっちゃう事もないですし。
ーー浜松まちなかの昔の話を聞きたいのですが、一朗太さんは中学・高校が静岡ということは、当時あまり浜松の街中に縁がなかったんですか?
それがね、結構あって。静週一で実家に戻ってくるっていう寮だったんですよ。土曜の夜に帰ってきて日曜の昼に戻るみたいな。それで、浜松にも知り合いだけはめちゃめちゃ多かったです。
高2くらいの時にいろいろ学校の知り合いが増えて、でもそれぞれは知らないこともあったんですね。面白いのがいろいろいるのに。
それで何人かと、とりあえず集まる機会作ろうかって話になって。いわゆるパーティみたいなのをやったんですよ。当時お金もないし、普段行くようなクラブに行ってもみんな面白くないだろうし、なんかないかねーっていろいろ探して会場で使ったのが、もう今閉じちゃってますけど、まちなかのフィリピンパブだったんですよ。ショーパブみたいなところで、なぜかわからないけど高校生に貸してくれて(笑)
何でフィリピンパブに行ったか全然覚えていないんですけどね。そこを1日借りて、学校バラバラの高校生が100~150人くらい集まっていました。2年目からは誰かが勝手にやっていましたね。今でも仲がいいみたいですよ
そういうのもあって、割と街中は面白かった印象がありますね。
ーーその頃からすると、大人になってレッツとかで街に関わってこの街自体をどういう風に感じます?
なんか昔はいろんな人がいたなって。ファッションの話なんですけど。
パンクのグループがいたり、ロカビリースタイルの店もあったりだとか、スケーターがいて、ダンサーがいて。モッズとかロッカーとか。もう、なんかコスプレみたいな感じでたくさんいたのが、僕が中学位の時で。
その人達がグループ毎に喧嘩したりだとか、そういう意味では面白いというか変な人達がいっぱいいるんだなってイメージはあって。いろんな人の受け皿っていうイメージでした。
ーーファッションのお店自体が今減ってきてしまっていますからね。お店があるからそういう文化があるとも言えますし。
そうですね。あとは、人が大勢歩いていたよねっていう位で。でも、あまり比較をする意識がないんですよ。結局、僕の年齢も街での過ごし方も変わってきているし、時代も違うし、比較意識を持っていてもしょうがないなと思ってて。
ただ、思っている以上に街は遊べるぞっていう気はしています。遊びたければ、そういう受け皿になる事はまだまだ可能じゃないかなって。
ただ、地主さんだとか不動産関係のところから考えたら、そりゃ昔の様に商売で潤っていくのがいいと思うんですけど、まったく同じ状況は戻ってこないかな。これだけ便利に慣れちゃうとやっぱりイオン便利ですもん。
なので本当にマニアックなものや専門性に特化しちゃうっていう基生さんがよく言っていることはおもしろいなと思っています。 あとは、用意された遊びじゃなくて、自ら作る遊び心の受け皿にはなれるんじゃないですかね。真剣に遊ぶのがいいでしょうね。例えば、遊びって言うと語弊がありますが、まるたま市とかも、ガチのプロの方もいれば、趣味の人達も混在していいるけれど、真剣じゃないですか?
まるたま市 浜松の中心市街地を大きな雑貨市に! まるたま市は浜松中心市街地の商店街「肴町商店街」を メインにまちなかの空き店舗や空間を活用した雑貨市。
そういう真剣な遊びを自分たちで動いて実現するための受け皿にはまだまだなれるんじゃないかなと思ってはいますけどね。きっと遊び下手になってきているんでしょうね、僕も含めて。 僕も休みの日に何をしたらいいのかよくわからないです。漫喫とか行っちゃうし(笑)
ーー休みは何してるのか聞こうと思っていたんですけど(笑)そもそもお休みとかはあるんですか?
休みは作ろうと思えば作れるみたいな感じです。でも、悪い癖でだらだらと仕事しちゃうなって。本当はギュッとやって終わらせて、はい明日は休み!ってしたらいいんですけど、それがなかなかできないので。
「今日は休みだなぁ〜」ってちょっと前に思ったのは、昼飯を食べに行こうと思って車で出かけて走っていて。気がついたら浜名湖にいて。浜名湖をぐるーっと廻って志都呂に出てて。ずっとお昼入るところを逃してるなって思いながら、スタート地点に戻ってきたっていう( 笑)
これ、なんと2時間くらいかかったんですよ。「ああ、これは休みだな」って、決定しないっていう。結局、その日はスタート地点だった西伊場ではなまるうどんを食べて、何してるんだっていう日
ーーそれはそれで贅沢な休みの使い方ですね(笑)
普段はあれって決めて、パッと10分で食べてみたいな。
でも最近は、フリーランスで仕事をしている人達は「区切りを打つ」ことをちゃんとやった方がいいのかもねっていう話に仕事仲間ともなったことがあって。
デザイナーや建築家たちなどフリーで動いている人たち数人と月1で一緒にごはんを食べようって、「シンハナキン」という名前をつけて始めました。誰でも参加できるイベントとして告知することで、お流れにできないようにして、区切りを打つ習慣をつくってみよう、みたいな。
金曜日にこだわらなくてもいいんですけど日を設定してそこに、ごはんを持ち寄るなり誰かが作るなりして、ごはんの時間を作ってみんなでだらだらと話したりして食べるっていうのをちらっと始めました。来れる人はきてねと、ゆるい感じで。
ちなみに僕、2回目から早速欠席しちゃいましたけど(笑)
今回はここまで!
次回は、「株式会社 大と小とレフ」の鈴木一郎太さんの第4回「今後のビジョンと起業する方へのメッセージ」についてです。お楽しみに!